真鍋島移住窓口
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私たちの移住エピソード(1話)

2020.3.27

移住前は、とある業界で小さな会社を経営していた私。

当時、経営はそこそこ安定していたものの、年数を経ていくごとに業界をとりまく裏事情に付き合うのがだんだんと億劫になっていっていました。

自分の正義と引き替えに富を得るといったら大げさかもしれませんが、まあ要は仕事が面白くなくなってきたんでしょうね・・・

そんな調子のなか、狙ったように大きなトラブルが続いたり、ワーカーでもあった自身のオーバーワークに体も悲鳴を上げていました。仕事への熱意を失いはじめ、蓄積した疲れやストレスに追従するかのように家庭の空気にもだんだんと不和の臭いが漂いはじめます。

自分や家族のこれからを考えても、このままではどうも見通しは明るくなさそうだ・・・。そして自分ももちろん楽しくない。

従業員の解雇などが伴うこともあり苦渋の決断でしたが、この調子ではやがて訪れるであろう最悪の結末を迎える前に、思い切ってとりあえず会社を畳むことにしました。次は何のビジネスにトライしようかなんて漠然と考えていただけで、その後の道を決めないままの再スタートでした。

今ではちょっと有り得ないなと自分でも思いますが、その思い切った決断が自分と正面から向き合うターニングポイントになったのは間違いありません。

仕事を軸にした暮らしというか、団塊ジュニア世代にありがちだった出世や地位や収入というステータスにこだわる生き方を変えるべきだと、そのときは頭で考えてではなく本能的に認識した気がします。

好きで戻った地元。
でも子供の頃からのそれとは様変わりしていて、馴染みのご近所さんが次々に居なくなる一方、新たなご近所さんとはまったく言葉を交わすこともありません。崩れていく地域性は学校を冷たい場所に変え、何かにつけ保護者は異常なほど子供に干渉している。防犯メールには次々と変質者の目撃情報が送られてくるようになると公園は子供だけでは遊べない場所に・・・。

そんな折、何のきっかけだったか、ふと湧いたのが「移住」という選択肢。

これは当時の住環境を見つめなおす機会にもなりました。

といっても、空いた時間にネットをつついて調べてみるくらいのことで、あ~こんな暮らしもあるんだ、いいよな~といった移住妄想です。

しかし、調べれば調べるほどアヤシイ記事が盛りだくさん(笑)


「iターンして新規就農しませんか?収入〇千万可能です。」

グレーどころかこれはクロだ(笑)


まだiターンとか田舎暮らしってキーワードが多く使われていた時代です。

収入ったって年商と年収ではえらい違いです。まあ実際は当然前者なんでしょうけど、パッと見は映えるフレーズですよね。

こういった飛びつくとマズいことになりそうなケースが多かったです。興味をひかれて問い合わせてみても、窓口になってる役所の担当者さんの回答がまったく的を得てなかったり・・・

ほとんどが、「とりあえず募集してます」って看板だけ出してるという印象。

実際はこんなのばっかりなのかと思ってたら、ひとつだけえらく毛色の違う地域がある。


「笠岡諸島?笠岡?どこ?? あ、岡山県なんや・・隣やん、近っ!」

担当者M氏のブログを読むにつれ・・・

なんか本気。

しかもめちゃくちゃハードル高い。「来る人選びます」だって。

ぜんぜん映えてないフレーズだ。

もう興味津々。関連記事をモニターに穴が開くほど読みあさる・・・。
これは間違いない。

この取り組みにすっかり感情移入していた私は、居ても立ってもいられずブログに辛口コメントしました。

「考え方は分かるけど、ハードル上げすぎたら後が続かない」的な。

内容はあんまり覚えてないけど、もっと辛口だったかも(笑)

まあ何にせよ、ここら辺りからもう赤い糸を感じていたのかもしれません。

とにかく会って話がしてみたい。そんな一心で担当M氏にメールを打ったのが平成19年の夏。まだまだ移住なんて現実味無し。

まさか同じ夏に移住するとは夢にも思わず・・・

つづく・・・